2013年5月15日

日本ラテンアメリカ協力ネットワーク『そんりさ』連載記事より(その3)


CLIJALの活動から~ 日本の児童書から見るラテンアメリカ

細江幸世

 

 子どもの本で南米を舞台にした物語といえば、1927年には翻訳されていた『母を尋ねて三千里』を思い起こす方が多いかもしれません。イタリアからアルゼンチンに働きに出た母をさがして旅を続けるマルコの姿はアニメ番組にもなり、ポンチョを風になびかせ、パンパを進む珍しい風景に心躍らせました。でも、これはイタリア人作家アミーチスが1886年に書いた『クオレ』で語られる毎月のお話の中の1つです。2010年に『多文化に出会うブックガイド』(読書工房)を編集した際、ラテンアメリカを舞台にした児童書43冊のうち、現地の作家か画家によるものは14冊。まだまだ日本の子どもたちがラテンアメリカの作家や画家の作品に触れる機会は少ないと言えるでしょう。

 ところが、現在はあまり手に取られていませんが、1960年代から70年代にかけて、日本の創作児童文学の興隆時に、ノンフィクションや史実をもとに書かれたシリーズが企画され、ラテンアメリカに目を向けて描いた本が何冊か刊行されていました。『おしいれのぼうけん』(童心社)がロングセラーとなっている古田足日(1927~)は、『コロンブス物語』(1964年刊、三十書房「少年少女探検家物語」シリーズ)、『インカ帝国のさいご』(1977年刊、岩崎書店「こどもノンフィクション」シリーズ)の2冊を上梓しています。また、平凡社「児童百科事典」の編者であり、『指輪物語』や『ナルニア国物語』の訳者としても著名な瀬田貞二(1916~1979)も『航路をひらいた人々』(1967年刊、さ・え・ら書房「さ・え・ら伝記ライブラリー」)でコロンブスを、骨太な作風で知られる乙骨淑子(1929~1980)は『八月の太陽を』(1966年刊、理論社)で、ハイチ革命の指導者であったトウセン(トゥサン・ルベルチュール)を主人公に執筆しました。これらの本は、それまで書かれていた伝記本のコロンブスや世界七不思議としてのインカ帝国というものとは違った目で描かれているのが特徴です。








(左より古田足日、瀬田貞二著、塚原亮一著の単行本表紙)

 その頃、コロンブスといえば、「アメリカをはっけんしたえらい探検家」で「しんぼうづよいばかりでなく、たいそうゆうきのある、なさけぶかい人」(1958年刊、偕成社「児童伝記シリーズ」沢田謙著・解説より)という捉え方で書かれた本が大半でした。絵本『コロンブスのぼうけん』(1992年刊、世界文化社)などは、第一回目の航海の初めて陸地を発見したところで話が終わっているしまつ。古田足日は、いわゆる偉人としてのコロンブスではなく、その「発見」にはじまる侵略の物語として『コロンブス物語』を書き、初版刊行から26年をへて、コロンブス航海500周年記念に合わせて文庫化された時には、翻訳された基本文献(岩波書店「大航海時代叢書」のラス・カサスの著作や増田義郎氏の著作など)を参考に間違っていたところを書き改めています。けれど、そのフォア文庫版の扉に書かれた「コロンブスはアメリカを『発見した』といわれる。しかし、『発見』というのはおかしい、と、ぼくは思う。きみは、どう思うか?」と、問う視点は変わってはいません。スペインの旗がインディアス諸島やパナマに翻っていく情景と自身の子どもの頃、日本軍が中国の都市を占領するたびに、中国の地図に日の丸の旗を立てていった姿が重なって見えたと「あとがき」で告白しているのが、重く心に残ります。

 『インカ帝国のさいご』では、二つの文明が衝突し、ヨーロッパの文明が自分の考え方を押し通した結果が、インカ帝国の崩壊となったと説き、それは今の世界でも同じように起こっていることなのだと結んでいます。過去から現在の自分たちの在り方を照らし出し、また振り返って史実を解釈する作家の姿勢が、それまでのとおりいっぺんな描き方とはちがったものを子どもたちに提示していているように思えました。

 瀬田貞二は『航路をひらいた人々』でコロンブスなどの大航海時代の探検家たちを「それまでだれもやったことのない冒険を、おおしくやってのけて、歴史をきりひらいた代表」と称していますが、それを「できるだけ大げさな言葉や文章を使わず、できるだけ直接の資料を読んで、ただ事実をはっきりと述べるように」した、とも記しています。その姿勢は1956年に完結した『児童百科事典』によるものと言えるでしょう。




『児童百科事典』の理念として「やさしい話から知識へ、身ぢかな事がらから深い道理へ、応用から原理へ、読むことから考えることへの、かけ橋でなければならない」と「まえがき」に記していますが、その項目の立て方、物語のように読んで楽しめるように書かれた文章には、今もって引き込まれてしまいます。わたしは瀬田貞二を調べるうちに、その根底を支えたものとしてこの事典に出会い、図書館でメモを取りながら読むようになりました。それを半年くらい続けた頃、懇意にしている古書店「海ねこ」(http://www.umi-neko.com/index.html)の目録に、全巻揃いで出品されているのを見つけ、手許に置くことができたのです。

 この『児童百科事典』の「コロンブス」の項には、「くらい原住民の運命」という小見出しがあり、奴隷狩りや迫害があったこともしっかりと記載されています。「アメリカ」の項の「新大陸の発見」という小見出しには、“アメリカに移住した最初の人間はアジア人である、アメリカ・インディアンの先祖であり”、つぎに“ヨーロッパ北部の荒くれた船乗り”が漁場として見つけ、“コロンブスはいわば第3番目の発見者であったのだ”と書いている視点がおもしろい。1956年に講談社版世界伝記全集『コロンブス』を書いた塚原亮一(1920~1993 フランス文学者であり、子どもの本の創作、翻訳、評論も手がけた)は、「この伝記を読む人へ」で、コロンブスの成功は前の時代の人が築き上げてきた学問や経験がもとになり、時代の要請がこの冒険を可能にしたのだと記しています。偉人として褒め称えるのではなく、この発見が人類の歴史の中でどのように行われ、どんな意味を持っていたのかを見ることが大切であること、また発見や冒険というものが一国だけを富ませたり、その結果、人間を苦しめたりするものであってはならないと感じたと書かれています。瀬田貞二や塚原亮一は海外の文献を手にする機会が多かったためか、当時の児童文学者の中でも、人物や物事の捉え方が大きく、複眼的であったように思います。 

 『八月の太陽を』を乙骨淑子が書いたのはちょうど60年代安保の頃。明治の少年雑誌『少年園』の中で、黒人として初めて独立国ハイチを築いたトウセンを主人公にした『黒偉人』が掲載されていることに、興味を持ち調べはじめたのだそうです。今回、改めて読み直し、まだ、海外の資料を手にするのも大変な時代に、遠い異国で時代も離れた人々の考えや心情に共感し、物語を紡いだ作家の想像力の深さ、この混乱の時節に集団と個人はどう在るべきか、という自身への問いかけも含んだ物語の構成力に驚かされました。小学生だったわたしが本書を手にした時は、時代背景等よくわからなかったものの、滝平二郎の切り絵の挿絵から、暑くうだるようなハイチの気候と人々の鬱屈した気持ちを重ね合わせて感じ取っていたように思い出されます。

 今では『八月の太陽を』は「乙骨淑子の本第2巻」(全8巻・理論社)で、『コロンブス物語』は「全集古田足日子どもの本第12巻」(全13巻・童心社)でしか手に入れることはできませんが、図書館等で単行本を借りることはできます。CLIJALで読み合うことで、埋もれた力作にまた光を当てられるようにできればと思っています。