CLIJALの活動から~ バリオの子どもたちと、ラテンアメリカの児童書翻訳
宇野和美
これまで4回にわたってCLIJALの活動を紹介してきましたが、今回はバリオの子どもが主人公の児童書を紹介し、ラテンアメリカを描いた子どもの本の翻訳出版について考えてみたいと思います。
バリオとは、地方から移ってきた人びとが、街をとりまく山の斜面などに粗末な小屋を建ててできあがった低所得者居住地区のこと。ビジャ(・ヌエバ)、ポブラシオン、ファベーラなどとも呼ばれるこうした地区は、ラテンアメリカの多くの町に見られます。ごく最近日本語版が刊行された絵本『道はみんなのもの』(クルーサ文/モニカ・ドペルト絵/岡野富茂子・岡野恭介訳/さ・え・ら書房)は、ベネズエラの首都カラカスのバリオが舞台です。遊び場のないカラカスのバリオの子どもたちが立ち上がり、市役所に行って交渉し、力を合わせて公園を作りあげる物語です。
石で押さえたトタン板の屋根や、ドアがわりに布がぶらさげてある玄関、赤ん坊を抱いた女性、はためく洗濯物など、こまごまと描きこまれた写実的な絵からバリオの暮らしぶりが伝わってきます。中南米の絵本出版の草分けであるエカレ社が、海外の絵本だけでなく、自分たちのことを語る絵本もというコンセプトでつくりはじめたシリーズAsí vivimosの1冊で、30年以上もベネズエラで読みつがれてきた、実話にもとづくロングセラーです。
小学校高学年向けの物語『雨あがりのメデジン』(アルフレッド・ゴメス=セルダ作/宇野和美訳/鈴木出版)の主人公カミーロは、コロンビア第二の都市メデジンのバリオに住む10歳の男の子です。学校に行かなくなり、将来は泥棒になると豪語して、親友のアンドレスと町をほっつき歩いているカミーロは、ある日バリオに新しくできた図書館に足を踏みいれます。はじめは図書館から本を盗みだして売ることしか頭にないカミーロが、図書館員のマールさんの介在で本と出会うというお話。10歳になったのだから、金は自分でなんとかして酒を持って帰れと言うのんだくれの父親、武力抗争で殺されてしまったおじさんなど、現実は厳しいものです。しかし、アンドレスとの友情がしっかり描かれているおかげで、日本の読者が主人公に親近感を持てるのも、この作品の魅力です。
メデジンでは麻薬を手にする子どもが多く、中学生くらいで歯がぼろぼろの子も大勢いるとは、住んだことのある人の話です。2010年にメデジンの読書計画協力会議という団体がIBBY朝日国際図書普及賞を受賞しましたが、その代表エルナンデスさんは、自分は本があったから麻薬に手をつけずにすんだと語り、子どもに本を届ける活動を続けています。前回の心配ひきうけ人形のときにご紹介した、チリのLectura Vivaという団体のマリアヘさんが、「チリの子どもたちが貧困や暴力の連鎖に陥らずに生きていくために本が必要」と悲痛なほどに訴えていた姿が重なって、ラテンアメリカにおける読書の意味や、本や物語の力についても考えさせられます。
『アンデスの少女ミア』(長田弘訳/BL出版)の主人公のミアが住むのは、チリのサンティアゴ郊外にある貧しい人びとの居住区です。トタン板を寄せ集めた掘っ立て小屋に住み、ゴミ捨て場で拾い集めた段ボールなど不用品を売って生計を立てています。ミアのペットである、ひろってきた犬のポコをめぐるストーリーに、著者の英国の絵本作家マイケル・フォアマンは、サンティアゴに旅行した際に出会ったさまざまな人びとのスケッチを挿入しています。
こうして見ると、多くの貧困層をかかえたラテンアメリカの姿がうかびあがってきます。作品には社会が反映するものなので、ラテンアメリカの児童文学は、物があふれる欧米のそれとは、興味もテーマも描き方もおのずと違ってくるのでしょう。たとえば、エンターテインメント色の強いファンタジーや、高校を舞台にしたリアリスティックフィクションのオリジナル作品は、数自体が欧米よりうんと限られているという印象があります。
先日、エルサルバドル出身の20代後半の女性に話を聞く機会があったのですが、彼女が子どもの頃は、週に3日ほど計画停電があったので、停電の夜はよく友だちの家などに集まっておばあさんの話を聞いたのだそうです。彼女は不便さを感じるよりも、停電の日が楽しみだったとか。同世代の日本人とはまったく違うこういう環境から、どのような作品が生まれるのでしょう。
私は20年ほど子どもの本の翻訳をしていますが、ラテンアメリカの児童書の翻訳出版はたやすくありません。大量に売れるものを求める傾向が強まる中、英米の本のほうが売れるのも事実で、ラテンアメリカの作品は肩身が狭くなる一方です。海外からとりいれるものに求められるのは、まずは日本人の嗜好にあったおもしろさのようです。
また、貧困や暴力などが描かれていると、日本の読者がその国に対してネガティブな印象ばかりを持ってしまうのではと、紹介にためらいが生じることも。しかし、難民の現実を下敷きにした絵本『エロイーサと虫たち』(ハイロ・ブイトラゴ文/ラファエル・ジョクテング、さ・え・ら書房)の編集者は、コロンビアのバリオを描いた別のYA小説について私が「悲惨すぎて日本で出すのは難しい」とコメントしたところ、「でも、これが私たちの現実なの」と言いました。自分たちの現実を知ってもらいたいという強い思いがあるのでしょう。ではどう伝えるかは、翻訳者に投げかけられた問いです。
児童書翻訳というと楽しげに聞こえそうですが、そんなわけで、日々悩み、試行錯誤しています。口当たりのよい楽しい部分だけではない、世界のありのままの現実や価値観の違う他者の存在を子どもたちにきちんと伝えられるメディアは案外少なく、翻訳児童文学の存在意義の1つがそこにあると信じています。たとえば今は、児童文学のノーベル賞とも言われる国際アンデルセン賞を昨年受賞したアルゼンチンの作家、マリア・テレサ・アンドルエットが描くビジャ・ヌエバを舞台にした作品を紹介できないかと考えているところです。作品を通して遠い世界の人びとを知ることが、想像力の土台になると思うのです。